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それは一冊の本から始まった


 スリップウェアの美を最初に注目したのは、柳宗悦富本憲吉です。1913年(大正2)にロマックス著『クェント・オールド・イングリッシュ・ポッタリー』(右図参照・1909年発行)という本を、それぞれが東京日本橋の書店・丸善で見つけたことがきっかけでした。

 二人の興奮は瞬く間に、当時在日していたバーナード・リーチに火をつけます。彼は英国にいたときには全く知る由もなかった、この中世時代の古陶の伝統を受け継ぐスリップウェアの存在を、日本という異国の土地で、しかも日本人の友から教えられたのです。

 リーチはこの本を通して英国伝統のスリップの手法をよく学び、優れた作品を数多く生み出していきました。また富本もこの本に刺激を受けながら魅力的な作品を発表していきます。そして、彼らの作品を見た濱田庄司河井寛次郎は、陶芸の世界に新しい時代の風を感じ、大いに作陶家としての刺激を受けることとなりました。まさに、日本の近代陶芸がここから出発したのです。

Book「Quaint Old English Pottery」


BookImage





一九一三年の事であるから、今から丁度二十年前になる。丸善の二階の奧の棚に不思議な本を見つけた。多分丸善がまだ土藏造りの頃だつたと思ふ。本は Quaint Old English Pottery と題した。中の挿繪に立派な燒物の圖があつて欲しかつたが学生の身分では如何にも高くて手に餘つた。行く毎に出して見たが又もとの棚に納めた。同じ樣に富本も此本を見つけ出して幾度か通つたと云ふが、やはり値が高くて買えなかつたと云ふ。だが富本の展覧會は---多分第一囘の會かと思ふ---いゝ機會を興へた。金が入るやすぐ丸善に出かけた。その時一緒に居た私は、富本が其大きな本を嬉しそうに抱えて持つて歸る姿を今もありありと思ひ出す。吾々が“Slip Ware”「流描手(ながしがきで)」を知り出したのは實に其本からである。著者はLomaxと云つた。一九〇九年に出版された。既に珍本であるが、後に濱田も私も買ひ、石丸も手に入れたから、日本には五冊位は來てゐるかと思ふ。

「スリツプ・ウエアの渡來」柳宗悦
『工藝』第25號(昭和8年1月発行)より抜粋









柳宗悦
1889年(明治22)〜1961年(昭和36)
宗教哲学者。学習院高等科に在学中、雑誌『白樺』の創刊に参加し、東京帝国大学哲学科に学ぶ。李朝工芸や英国スリップウェアとの出会いをきっかけに、民間で用いられる日常品の美に注目していく。仏教の他力思想に基づく独創的な民藝美論を提唱、濱田庄司・河井寛次郎らと共に「暮らしの美」を旗印とする民藝運動を展開する。1936年には日本民藝館を創設した。
バーナード・リーチ
1887年(明治20)〜1979年(昭和54)
イギリスの陶芸家。幼時を日本で過ごし、1909年に銅板版画家として再来日。柳宗悦ら白樺派の人々と交流を結び、焼物に興味を覚え六代尾形乾山に作陶を学ぶ。1920年、濱田庄司を伴い帰英し、セント・アイヴスに窯を開く。 東洋陶磁の特質にイギリスの伝統的陶技を融合させた独自の作風で知られる。
富本憲吉
1886年(明治19)〜1963年(昭和38)
陶芸家。東京美術学校図案科に学ぶ。イギリス留学後、バーナード・リーチや柳たちと親交を結ぶ。リーチの通訳として六代尾形乾山のもとへ同行したことが機となり陶芸家への道を歩む。
「模様から模様をつくらない」という制作理念に基づき、身近な風景や植物から独自の模様を生み出した。
河井寛次郎
1890年(明治23)〜1966年(昭和41)
陶芸家。東京高等工業学校、京都市陶磁器試験場を経て、1920年、京都・五条坂に窯を開く。
柳宗悦との交友の中で自らの作風を変化させ、色鮮やかな釉薬と重厚で変化に富んだ独自の造形を確立していった。その他、木彫や書などの作品も残している。
濱田庄司
1894年(明治27)〜1978年(昭和53)
陶芸家。河井と同じ東京高等工業学校に学び京都市陶磁器試験場を経て、1920年、在日中のバーナード・リーチとともに渡英する。帰国後、栃木県益子に窯を開く。世界・日本各地を廻り日用雑器の持つ美を吸収し、素朴で力強い作風をつくりあげた。
柳の没後、日本民藝館2代目の館長となる。


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