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その後、18〜19世紀にかけて、スリップウェアの伝統はイングランド中部のスタッフォードシャーを中心に各地の窯場に受け継がれていきます。そして、スリップの手法によって抽象文様や線文様が自由に活々と描かれた、簡素で健康的な美しさをもつ皿・鉢・水注・酒杯など、無銘の日用雑器が数多く生産されました(図2参照)。
ちなみに、用途は次のようなものでした。
しかし、英国の風土から生れ、多くの家庭で愛用されたこれらのスリップウェアも、19世紀後半には確かな光を失い、20世紀初頭には製作・生産が途絶してしまったのです。 |
![]() 図2 丸皿 径40.8cm 日本民藝館蔵
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| 西ヨーロッパにおける英国スリップウェアの歴史 |
1.スリップウェアの起源について 粗い粒子を漉して取り除いたクリーム状の化粧土(スリップ)で素地を装飾する方法は、イギリスだけのものではありません。その起源は古く、メソポタミアなど古代中東地域では、紀元前4000年頃にはすでにこの手法が見られ、また西洋においても紀元前1500年頃には古代地中海域やエーゲ海域の人々が、この手法を用いて彩文土器を作っていました。その後、古代ギリシャでは製陶の技術が高度に発達し、やがてその伝統はエトルリア人からローマ人へと受け継がれていきます。ギリシャ文化の影響を大きく受けた古代ローマ時代には、スリップの技法を用いた無釉の赤色磨研陶器が盛んに作られたのでした。 |
しかし、ローマ人の製陶技術がすぐにアルプス以北の地に伝わった訳ではありません。現在西ヨーロッパと呼ばれているアルプス以北の地域は、いわば地中海世界に栄えた古代文明圏から見れば未開の地で、ローマ帝国の支配下(紀元前1〜5世紀頃)に入る事で、はじめてギリシャ以来の陶技が波及していくこととなったのです。スリップの技法も、この頃にローマ人によってもたらされました。 ところで、アルプス以北の地域には、紀元前12世紀頃よりケルト人と呼ばれる先住民族が生活していました。ローマ時代には彼らの住む土地のことを、ガリア地方(現在のフランス・ベルギーとオランダ・ドイツ・スイスなどの一部)あるいはブリタニア地方(英国の南部)と呼んでおり、その地の文化は、自然主義的な写実表現を特徴とする地中海文化とは大きく異なり、ケルト文様に代表される象徴主義的な抽象表現を特徴としていました。 その後、5世紀後になるとガリア地方の北方に位置するゲルマニアの地から、ケルト人と同じヨーロッパの先住民族であるゲルマン人が大移動を開始し、次第にヨーロッパ全域を席巻します。現在の西ヨーロッパ諸民族の祖先ともなる彼らの文化もまた、地中海文化とは縁遠いもので、ケルト文化と同じように精霊感溢れる象徴性の強いものでした。 |
このように、西ヨーロッパの文化の基層には古代ギリシャ・ローマ文化の伝統だけでなく、むしろケルトやゲルマンの土着的な民族文化の伝統がその底流にあると考えるべきでしょう。ローマ人との接触、キリスト教化による生活の変化などにもかかわらず、彼ら先住民族の持っていたその優れた美の感覚や造形力は、その後も決して消える事なくロマネスクやゴシックといった各時代の中で再生しながら、西ヨーロッパの文化を力強くより豊かなものにしていったのです。 |
2.英国中世陶器からスリップウェアへ ところで、古代から中世にかけての西ヨーロッパの焼物は、ローマの陶器文化の影響を一時受けたものの、無装飾の土器や素地の荒い無釉陶器など土着性の強い焼物が長い間その主流でした。焼物があまり発達しなかった理由はいろいろ考えられますが、当時の社会情勢が不安定であった事などから、運搬にも容易で堅牢度の高い金属器や木製品のほうが取り扱いに便利だったからだと思われます。 10世紀になると西ヨーロッパ地域に鉛釉を使用した陶器が現われます。この施釉陶器の技法は海を越えて英国の南部地方にも及び、不純物を含んだ鉛釉を掛けて低火度で焼かれた手付きの水注(ジャグ)などが、13世紀を頂点にして盛んに作られました。今日、英国中世陶器と呼ばれている一群がそれであり、スリップによる装飾もすでに行われていました。これらは主に庶民の日用雑器として作られたもので、粗野な作りながら格調の高い渋さの美を持ったこの英国陶器は、ケルト・ゲルマン的な英国の原風景を映し出すものとして、今日では高い評価を受けています。ちなみに、この時代の貴族達は一般に金属製の食器類を日常に用いていたため、現存する中世陶器のほとんどは大切に取り扱われてきた伝世品ではなく、ロンドンなどの中世期の物捨て場の中からから出土したものです。 尚、この鉛釉をはじめとする施釉陶器の技法は、15世紀以降西ヨーロッパの各地で次第に改良されながら、器物の種類や装飾の手法を増やしていき、各地において地方色豊かな焼物を生み出していきました。17世紀に入り英国では、錫釉陶器、ストーンウェアなどの焼物が作られるようになりますが、これらは、オランダやドイツなどから技術がもたらされて発達したもので、純粋に英国の窯場の伝統の中から生まれてきたのではありませんでした。ただし、唯一の例外はスリップウェアです。もちろん、スリップを加飾材に用いて鉛釉を掛けたスリップウェアは、西ヨーロッパ各地で見られますが、英国におけるスリップウェアは全く独自の発達をとげていったのです。 |
3.英国スリップウェアの誕生 英国の陶工によってスリップウェアが作られるようになったのは17世紀の初めで、ロンドンやルータム(ケント州)で、スリップを加飾材に用いてガレナ釉という鉛の硫化物を施したスリップウェアが作られるようになりました。17世紀後半になるとトフト・シンプソン・テイラー・ライトなどの陶工一族がスタッフォードシャーのストーク・オン・トレントで活躍し、スリップ手法を駆使した大型の飾皿を数多く残しました。生乾きの素地の上に有色の化粧土で王家の紋章や貴人の肖像などの図柄を大胆に筒描されたこれらの記念品的な目的で作られた在銘の大皿は、一般にトフトウェアと呼ばれていますが、これは陶工トーマス・トフト(?〜1689)銘の大皿が最も良く知られていることからこのように名付けられているのです。 その後、18〜19世紀にかけて英国スリップウェアの伝統は、イングランド中部のスタッフォードシャーやダービーシャーなど英国各地の窯場に受け継がれます。そしてスリップによる抽象文様や線文様が自由に活々と描かれた、簡素で健康な美しさをもつ皿や鉢、そしてジャグやカップなどの無銘の日用雑器が数多く生産されていったのです。それらは、まさに英国中世陶器の伝統を引き継ぐ生粋の英国陶器であったと言えるでしょう。そして、その伝統は移民によって新大陸アメリカにももたらされたのでした。 しかし、英国の風土から生れ多くの家庭で愛用されたこれらの焼物も、産業革命以後の機械化によるクリームウェアやボーンチャイナなどの大量生産品の一般家庭への普及、生活様式の変化に伴う新しい美意識への感化といった近代化の波の中で、19世紀後半には確かな伝統の力を失ってしまったのです。 |
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